渡辺京二『逝きし世の面影』第十三章 信仰と祭 12015年01月23日 00:00

『逝きし世の面影』渡辺京二/平凡社

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第十三章 信仰と祭


526p
 寺詣りをするのは下層階級と女性であることは、観察者に早くから認められていた。ティリーはおなじく一八五九年、箱館の寺院を観察したが、「役人とか地位のある男性の姿はめったに見られず、貧乏人と女が唯一の参詣者であるように思われた」。

一八五九年から翌年にかけて英国箱館領事をつとめたホジソンは言う。「私は十六ヵ月間、寺の近くに住んで、参詣人の大部分があらゆる階級の婦人と、子供と乞食であることに気がついた。儀式に参列する男子は主として商人、小売商人、下層社会の人々で、その数も大した数ではない。

その地位の上下を問わず双刀を帯びた武士が仏寺に詣でるのは、友人の葬式か、物故した英雄や主君の法要の時以外、きわめて稀である」。この事実は一八九〇年代になっても変らなかった。フィッシヤーは言う。「寺詣でをする者は、日本のどこでもきわめて貧しい住民や農民ばかりである」。

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 ベルクによれば「教養ある日本人は、本当は仏教とその僧侶を軽蔑している。……それは、下層階級と同じように僧侶のばかばかしいいかさま説法の対象となるのは、威信を下げると彼らが思っているからである」。

ハリスは一八五七年五月の日記に書く。「特別な宗教的参会を私はなにも見ない。僧侶や神宮、寺院、神社、像などのひじょうに多い国でありながら、日本ぐらい宗教上の問題に大いに無関心な国にいたことはないと、私は言わなければならない。この国の上層階級の者は、実際はみな無神論者であると私は信ずる」。

ヴィシェスラフツォフは役人に向って「どうしてお寺へ行かないのか」と尋ねたことがあった。答はこうだった。「わしが寺へ行くようになったりしたら、坊主たちは何をすりゃいいんだね。わしらみんなのために祈るのが坊主たちの仕事だ」。

一八九〇年代日本に滞在したドイツ人宣教師ムンツィンガーも「サムライ階級」を無神論者と断定している。それに対して「小市民、職人、農民、労働者、女性という大群は、今日に至るまでいつも宗教的であった」。武士階級が信仰に無関心でとくに僧侶を軽蔑するというのは、すでに一八一〇年代にゴローヴニンが認めた事実だった。

彼は「日本にも、ヨーロッパと同様に、自由思想家がいるし、或いはわが国より数が多いかも知れない。……無神論者や壊疑派は大変に多い」と記し、さらに「寺社なんかに一度も詣ったことはないといったり、宗徽上の儀式を潮笑したりして、それをいくらか自慢にしている日本人をわれわれは沢山知っている」と言っている。むろん彼は箱館や松前の獄舎にあったのだから、接触した日本人はほとんど武士階級だった。

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 バードは一八七八(明治十一)年の東北地方横断の際、久保田(現秋田市)の師範学校を見学したが、校長と教頭に対して生徒たちが宗教について教えられているかどうか尋ねると二人は「あからさまな軽蔑を示して笑った」「われわれには宗教はありません。あなたがた教養のおありの方々は、宗教はいつわりだとご存知のはずです」というのが教頭の答だった。

バードは言う。「破綻した虚構にもとづく帝位、人々から馬鹿にされながら、表面上は崇敬されている国家宗教、教養ある階扱にはびこる懐疑主義、下層階級の上にふんぞり返る無知な僧侶。頂点には強大な専制をそなえ、底辺には裸の人夫たちを従え、最高の信条はむき出しの物質主義であり、目標は物質的利益であって、改革し破壊し建設し、キリスト教文明の果実はいただくが、それを稔らせた木は拒否するひとつの帝国――いたるところでこういった対照と不調和が見られる」

しかし、知識階級の宗教心の欠如は明治という新時代の特徴なのではなかった。ヒュープナーの見た政府官吏の不敬な態度も、バードが聞いた教師の反宗教的見解も新時代の産物というよりむしろ、徳川というアンシァン・レジームからひき継いだ知識層の心性だったとみるべきである。むろんその底には儒学的合理主義と徹底した現世主義が存在した。
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☆531p
 全国を通じてどんな僻地山間にも見受けられる彪大な数の寺社と住民の関係、とくにその祭礼のありかたを一見したとき、彼らの喉を突いて出たのは「日本では宗教は娯楽だ」という叫びだった。

オールコックは言う。「宗教はどんな形態にせよ、国民の生活にあまり入りこんでおらず、上層の教育ある階級は多かれ少なかれ懐疑的で冷淡である。彼らの宗教儀式や寺院が大衆的な娯楽と混じりあい、それを助長するようにされている奇妙なやりかたこそ、私の確信を裏づける証拠のひとつである。

寺院の境内では芝居が演じられ、また射的場や市や茶屋が設けられ、花の展示、珍獣の見せ物、べーカー街のマダム・タッソー館のような人形の展示が行われる。こういった雑多な寄せ集めは、敬虔な感情や真面目な信仰とほとんど両立しがたい」。むろん彼は浅草のことを言っているのだ。

バードもっと簡潔に断定する。「私の知る限り、日本人は最も非宗教的な国民だ。巡礼はピクニックだし、宗教的祭礼は市である」。彼女は寺院が広大な敷地を所有していることから、「かつては東京にも、敬虔な精神が存在したに違いない」と言っている。しかし徳川期から、巡礼は物見遊山とセットされていたし、祭礼に市はつきものだった。

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