渡辺京二『逝きし世の面影』第三章 簡素とゆたかさ 12015年01月05日 00:00

『逝きし世の面影』渡辺京二/平凡社

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第三章 簡素とゆたかさ

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オールコックは書く。「封建領主の庄制的な支配や全労働者階級が苦労し呻吟させられている抑圧については、かねてから多くのことを聞いている。だが、これらのよく耕作された谷間を横切って、非常なゆたかさのなかで所帯を営んでいる幸福で満ち足りた暮らし向きのよさそうな住民を見ていると、

これが圧制に苦しみ、苛酷な税金をとり立てられて窮乏している土地だとはとても信じがたい。むしろ反対に、ヨーロッパにはこんなに幸福で暮らし向きのよい農民はいないし、またこれほど温和で贈り物の豊富な風土はどこにもないという印象を抱かざるをえなかった」。
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ケンペル「専制的政治組織の原因と結果との関連牲がどうあろうとも、他方では、この火山の多い国土からエデンの園をつくり出し、他の世界との交わりを一切断ち切ったまま、独力の国内産業によって、三千万と推定される住民が着々と物質的繁栄を増進させてきている。とすれば、このような結果が可能であるところの住民を、あるいは彼らが従っている制度を、全面的に非難するようなことはおよそ不可能である」。

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パンペリーが「日本の幕府は専横的封建主義の最たるものと呼ぶことができる。しかし同時に、かつて他のどんな国民も日本人ほど、封建的専横的な政府の下で幸福に生活し繁栄したところはないだろう」という、まさにオールコック的な概括を下していることに注目しておこう。

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カッテンディーケは言う。「日本の農業は完壁に近い。その高い段階に達した状態を考慮に置くならば、この国の面積は非常に莫大な人口を収容することができる」。またオールコックによれば「自分の農地を整然と保つことにかけては、世界中で日本の農民にかなうものはない」。

江戸近郊の農村で彼は「いたるところに熟練した農業労働と富を示す明らかなしるしを見かけ」た。ハリスも日本人の農業に対して讃嘆の念をおぼえた一人である。彼らをことに瞠目させたのは水田の見事さである。

ハリスは言う。「私は今まで、このような立派な稲、またはこの土地のように良質の米を見たことがない」。一八二七(文政十)年から三〇年まで長崎商館長を勤めたメイラン(Germain Felix Meijlan 一七八五~一八三一)は言う。「日本人の農業技術はきわめて有効で、おそらく最高の程度にある」。

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査定石高が固定していたのに、農業生産性は絶えず向上し、作物の収量も増加した。スミスの持つ資料によれば、それは50年間に112%の高さに及んでいる。仮にそれが例外的だとしても、生産性の一般的な向上は、「食糧の輸入なしに、この時期をつうじて都市人口が顕著に増大したことからも明かである」。

一方税率は、長期的にみて大した変化はなく、むしろ低下傾向を示している。だとすれば、農民側に剰余が次第に蓄積されて行ったことは疑いようがない。すなわち江戸時代後期においては「課税は没収的ではなかった」し、「時とともに軽くなったのである」。

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 しかし、衣食住において満ち足りている日本の民衆というイメージは、当時の観察者が一致して言及している彼らの生活の簡素さという点に触れないでは、その含意が十分明らかにならぬおそれがある。

カッテンディーケ「日本人の欲望は単純で、賛沢といえばただ着物に金をかけるくらいが関の山である。何となれば賛沢の禁令は、古来すこぶる厳密であり、生活第一の必需品は廉い。……上流家庭の食事とても、至って簡素であるから、貧乏人だとて富貴の人々とさほど違った食事をしている訳ではない」

「日本人が他の東洋諸民族と異なる特性の一つは、奢侈賛沢に執着心を持たないことであって、非常に高貴な人々の館ですら、簡素、単純きわまるものである。すなわち、大広間にも備え付けの椅子、机、書棚などの備品が一つもない」。

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(オールコック)は日本では、畳を敷いた家と、たがいに持ちよる蒲団や衣裳箱と、それに鍋と半ダースの椀やお皿と、大きなたらいがあれば、みごとな世帯ができあがると言う。「牧歌的な単純な生活とは、このような生活のことをいうのであろう」と彼は書く。

しかし実は彼が言いたいのは、「われわれが安楽に暮すために必要不可欠だと考えているもの」が、日本人の生活にはまったく欠如しているということなのだ。ハリスに至っては「日本人の部屋には、われわれが家具と呼ぶような物は一切ない」とまで書いている。