渡辺京二『逝きし世の面影』第十三章 信仰と祭 22015年01月24日 00:00

『逝きし世の面影』渡辺京二/平凡社

http://www.heibonsha.co.jp/book/b160743.html

第十三章 信仰と祭


532p
 「"宗教――キリスト教徒が知るような宗教において不可欠とされるものを伝え保存すること、それによって心の最も高い願望と、知性の最も高貴な着想とをかき立てること、迷信の力を削ぎ寛容を説くにとどまらず、生きた信仰と行動への正しい動機、つまりは人間性に許された最高のものを最優先の地位につけること"――これが文明であるとするならば、日本人は文明をもたない」。

このように言うときオールコックはキリスト教文明以外の文明のありようを頭から否定しているのではない。だが、彼がキリスト教文明を最高の文明と考えていたのは確実である。そしてもし宗教がこのようなものとして定義されるならば、日本の宗教がおよそ宗教の名に値せぬ迷信と娯楽の混合物に見えるのはあまりに当然だった。

オールコックだけのことではない。当時の欧米人観察者の大多数は、神との霊的な交わりによって、個人の生活と社会の営みにより高い精神的水準がもたらされるものとして、宗教を理解していたのである。すなわちそれは人間性の完成と道徳的進歩という十九世紀的理念に浸透された宗教観だった。そんな途方もない基準を適用されたとき、幕末・明治初期の日本人が非宗教的で信仰なき民とみえたのは致しかたもないことだった。
533p

538p
だがエドウィン・アーノルドは、こういった日本人の信仰のありかたを、格別怪しからぬとも劣等とも考えはしなかったようだ。彼はリゴリスティックなプロテスタンティズムを嫌って、むしろ仏教に理想の宗教を見出した人だった。

彼が「彼らはあらゆる縁日や祭――すなわち彼らの"聖者の日"を、市や饗宴と混ぜあわせる」といい、さらに「宗教と楽しみは日本では手をたずさえている」というとき、それが非難ではなくむしろ讃嘆に近いのは、彼のそういう祭の描写がよろこびに満ちていることで知れよう。「彼らは熱烈な信仰からは遠い(undevotional)国民である。しかしだからといって非宗教的(irreligious)であるのではない」と彼がいうのは注目すべき言表だろう。

つまり彼は、神に身心を捧げるような熱烈な信仰は好きではなかったのである。彼にとって望ましい宗教とは、日本人がその例を示しているような、生活のよろこびと融けあった、ギメ風にいえば心安く親しみのある宗教だったと言ってよかろう。

☆542p
 結局、日本庶民の信仰の深部にもっとも接近したのは、アリス・べーコンであったようだ。彼女は二度目の訪日(明治三十三年から二年間)の際、とある山間の湯治場に二、三週間滞在したことがあった。そこで彼女は村はずれで小さな茶屋をいとなむ老夫婦と仲よしになった。

夫の方は木の根で天狗とかさまざまの奇怪な動物などを細工する″芸術家″で、陽気な老女はいつも山中に入って、夫のためにしかるべき木の根を探してくるのだった。アリスたちが店を訪れると、彼女は岩から湧き出る冷たい水を汲んでくるやら、お茶をいれるやら、羊襄を出すやら大奮闘を開始するのだったが、

アリスたちは彼女からここいら一帯の民話を聞き出すのが面白かった。彼女は村を見おろしている岩の頂上は天狗が作ったのだと教えてくれ、天狗の風穴のところまで彼女たちを案内してくれた。天狗はもうこの森から去っていまはいないと彼女は言うのだった。

というのは、夜、店を閉めるときにあたりを窺ってみても、その姿が見えないからである。猿たちも少なくなりましたと彼女は言った。アリスたちは彼女から、森の中にいるマムシをとらえて酒に浸たすと薬になるのだという話を聞いた。なるほど村の八百屋の棚には、とぐろを巻いた蛇の入った壜が置かれていた。

ある日彼女はアリスたちを呼びとめて、もうちょっと早くおいでになるとよかったのにと言った。山の神様の使いである大きな黒蛇がいましがたここを通ったというのだ。彼女自身はそれを以前も見たことがあって、珍らしくはなかったけれど、アリスたちがきっと興昧をもつに違いないと彼女は考えたのだった。

「いとしき小さな老女よ、その親切な顔つきと心地よい物腰よ、そして彼女のやさしいしわがれ声よ。神秘で不可思議な事物に対する彼女のかたい信念は、かしこい人々はとっくに脱ぎすてているものだけれど、わが民族の幼年時代に立ち合うような気持に私たちを誘なってくれたし、さらに、すべての自然が深遠な神秘に包まれている文化のありかたへの共感を、私たちの心に湧きあがらせてくれた」。

544p
 古き日本人の宗教感情の真髄は、欧米人や赤松のような改革派日本人から迷信あるいは娯楽にすぎぬものとして、真の宗教の埒外にほうり出されたもののうちにあった。篠田鉱造は「八十八ヶ所のお大師さん参り」の楽しみを語った老女の話を『明治女百話』に採録している。

「倅に嫁でも迎えたら、この御参詣に加わって、大勢男女打連立て、浮世話や軽口を聞いて、ご信心をしますと、胸がスッキリして、頭がスーッとするんです」というこの老女の「ご信心」とはいったい何だったのだろうか。一日十二里をきまって歩くというこの強行軍の楽しみは、仲間との浮世話や軽口もさることながら、行く先々での人びととの交歓にあったようだ。

練馬では「村の衆が沢庵の厚切と、野菜の煮たのを用意して」迎えてくれる。「こっちのお弁当はまた、あっちへ開いてやります。ソレを村の衆は、楽しみにしているんだそうで、お海苔巻やごもくずしといったのを盤台へもらい溜めて、村中大喜びでした」。

 これはたんなる物見遊山ではない。信心の行為であるゆえに村人は一行を歓待したのだし、一行もまた純化された感情のなかで村人の厚意に応えたのだ。その信心とは別に仔細あるものではなかろう。

無事に嫁を迎えることのできる歳まで生きながらえたことへの報謝であり、さらに一家の今後の浄福をねがう心であったろう。しかしそれは日常を越える聖なるもの大いなるものの存在を感知する心でもあった。だからこそ胸も頭も晴れやかだったのである。

ここには、「巡礼姿の寺社参詣人たちは、俗の世界の往来においても、神仏と結縁した存在と認められ、俗界のもろもろの縁や絆と切れた存在とな」るという中世以来の伝統がまだ強力に働いている。お大師詣りの人びとと村人との交歓はこういう非日常的次元に成り立っていたのだ。
545p

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://kumano.asablo.jp/blog/2015/01/24/7635638/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。