渡辺京二『逝きし世の面影』第九章 女の位相2015年01月17日 00:00

『逝きし世の面影』渡辺京二/平凡社

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第九章 女の位相

362p
 たとえば離婚の問題をとっても、彼女が紹介している一例はむしろ当時の女性の自由度を示すものとして読むことができる。彼女が交際している上流家庭にお菊さんという女中がいた。彼女は結婚のためその家からひまを取ったのだが、ひと月余りでまたその家へ舞い戻って来た。

主人が「夫が不親切な男だったのか」と問うと、彼女は「いいえ、夫は親切で気のよい人だったのです。でも姑が我漫できない人でした。私を休むひまもないくらい働かせたのです」と答えた。姑がそういうきつい女であるのを、彼女は結婚前から知っていた。だが、夫となる男が、母親を兄のところへやって、自分たちは別箇の世帯をもつと約束したので、彼女は結婚を承知したのである。

ところが、母親が移って行った先の兄息子の嫁は怠け者である上に性質が悪かった。それにくらべてお菊さんは大変よい嫁だとわかったので、婆さんは兄息子の家を出て、お菊さんの新世帯に転がりこんだのである。転がりこまれたお菊さんの生活はたえがたいものになった。

そこで彼女は離縁を求め承認されたというのだ。この話のどこに家制度の束縛があり、男の圧制があるのだろう。あるのは女どうしの闘争ではないか。男は女にはさまれてうろうろしているだけだ。姑と嫁の戦いにしても、強い方が勝つのであることは、婆さんが兄息子の嫁から追い出されたのを見てもあきらかだ。

しかも、お菊さんは姑から追い出されたのではない。自分の方が我慢できなかったので離婚を請求したのである。そしてベーコンも認めているように、離婚歴は当時の女性にとってなんら再婚の障害にはならなかった。その家がいやならいつでもおん出る。それが当時の女性の権利だったのである。
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371p
 菊栄のいうところによれば、彼女の祖父延寿の兄で青山本家を嗣いだ延光の後妻は、「尼将軍」と異名をとった猛婦で、亭主を完壁に管理したばかりでなく、息子の嫁を四人にわたって追い出したという。

オールコックは「母親は息子に対して、他に例がないほどの、そしてどの点から見ても異常なほどの権威をもっている」と言い、そのことを「女がうける不当な扱い」をつぐなうものとみなしているが、この尼将軍は「不当な扱い」どころか、青山家の完全な独裁者だったわけである。

この女人は昔の家来が挨拶に来たとき、出て来たその足ですぐ訪ねなかったというので、「そちは昨日出て来て昨夜は某家へ泊ったであろう。おれの家にもそちに食わせるぐらいの米がないではないぞ」と叱りつけたそうだ。菊栄は、このころは「女でもいばっている人」は、自分のことを「おれ」というのは珍らしくなかったと断わっている。

375p
 徳川期の女性はたてまえとしては三従の数えや「女大学」などで縛られ、男に隷従する一面があったかもしれないが、現実は意外に自由で、男性に対しても平等かつ自主的であったようだ。

多くの外国人観察者が東洋諸国にくらべればと留保しながら、日本の女性に一種の自由な雰囲気があるのを認めねばならなかったのは、女性の男性への服従という道学的なたてまえだけでは律しきれぬ現実が存在することに、彼らが否応なく気づかねばならなかったからではないか。

徳川期の女の一生は武家庶民の別を問わず、そう窮屈なものではなく、人と生れて過すに値する一生であったようだ。悲惨な局面があったように見えるとすれば、それは現代人の眼からそう見えるだけで、それも一種の知的傲慢であるのかもしれない。

徳川期の女ののびやかで溌剌としたありかたは、明治に入ってかなりの程度後退したかに見える。しかしまだその中期ごろまでは、前近代的性格の女の自由は前代の遺薫をかおらせていたのである。

379p
 杉本鉞子はミッション・スクール在学時に、「西洋の書物に描かれた恋愛をおもしろくまた楽しく」読んだが、それでも「それは精神の強さや高貴さという点では、親の子に対する恩愛の情とか、主従間の忠節とかには、較ぶべくもないように」感じた。

彼女はのちになって「この未知の問題に対してゆがめられた考え」を持っていたと反省しているのだが、フレイザーが直面したのはまさに「感情よりも義理を重んずる」武士家庭のしつけだったのである。

 「どうやら「惚れた腫れた」という万人共通の楽しみは、結婚生活の義務を優しく心をこめて遂行することとまったく無縁であるように思われます。そしてひとりの人間がもうひとりの人間を全人格を傾けて崇拝する栄誉を授かるのに、なにも結婚前に準備として恋の病にかかる必要などないのかもしれません」と、フレイザーはやや冑を脱ぎ気味である。

つまり彼女は日本人の友が、なぜそれは愛ではないと否定したのか、その理由がわかっていたのだ。″日本人の友″は愛を恋愛と受けとり、主人公が夫のために自己犠牲を払ったのは恋愛感情からではないと言いたかったのである。

もはや惚れた腫れたなどという恋の病とは無縁の義務、それこそより深い意味の愛でなくして何だろうか。愛は恋と無縁に、義務という束縛の形をとって育つ。これはフレイザーにとって発見だった。

しかしなおかつ彼女には、トゥルバドゥール以来の西欧の伝統であるロマン主義的な恋、トリスタンとイズー風な運命的恋愛への夢を棄て去ることは不可能であったに違いない。彼女も言及しているように、日本の古き文明はそれを実生活とは関わりない舞台上の心中に閉じこめたのである。
380p

補足:内容に該当する写真集を見つけました。参考に記載します。
美しき日本の面影 その7 幕末・明治の女性たち