渡辺京二『逝きし世の面影』第七章 自由と身分 12015年01月12日 00:00

『逝きし世の面影』渡辺京二/平凡社

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第七章 自由と身分

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 いかに奇妙であろうと、いかに矛盾と思われようと、日本人大衆の顔に浮かぶ紛れもない満足感と幸福感は見誤りようがなかった。彼らの誰もが驚ろきをもって認めたように日本人大衆には礼節と親切がゆきわたっていたが、彼らが幸福であり生活に満足していればこそ礼儀正しく親切であるのだということに気づかねば、彼らはそれこそ盲目というものであった。

従って彼らはこの一見矛盾と思われる現象の由って来るところを解明しようとして、いっせいに考察を試みたのである。

 オリファントの疑問はひとり彼の頭脳を占めただけではない。プロシャ遣日使節団の公式報告書『オイレンブルク日本遠征記』もまた、「人民はたえざる監督の結果、抑圧され疑い深くなったと信ずべきなのに、実はまったく反対に、明朗活発、開放的な人民が見出される」という矛盾をぬかりなく指摘していた。

同様の言は、一八五九(安政六)年に来日した米人宣教師マクガワン(Daniel J.Macgowan 一八一四~九三)からも聞かれる。「日本は専制政治に対する世界最良の弁明を提供ている。政府は全知であり、その結果強力で安定している。その束縛は絶対であり、あらゆる面をひとしく庄している。しかるに、社会はその存在をほとんど意識していない」。

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 大名行列の前に平伏する庶民を見ればわかるように、世襲貴族と一般大衆のあいだには越えがたいへだたりがある。「だが、ほかならぬこの理由のために、一般大衆のあいだにはわれわれが想像する以上の真の自由があるのかも知れない」とオールコックは考える。

ヨーロッパの封建時代でも、人民が服従したのは、王や貴族の暴力が彼らまで到達するのがまれだったからだ。嵐が高い木を痛めつける場合でも、ずっと下の濯木は無事なことが多い。日本でもそういう事情は同一だろう。

「外見的な屈従は皮ひとえのものにすぎないのかも知れず、形式的外見的には一般民衆の自由があって民主的な制度をより多くもっている多くの国々以上に、日本の町や田舎の労働者は多くの自由をもち、個人的に不法な仕打ちをうけることがなく、この国の主権をにぎる人々にとってことごとに干渉する立法を押しつけられることもすくないのかも知れない」。

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 オールコックが慎重に推量の形で披露したのと類似の見解を、カッテンディーケはほとんど断定に近いロ調で述べる。「日本の下層階級は、私の看るところをもってすれば、むしろ世界の何れの国のものよりも大きな個人的自由を享有している。そうして彼等の権利は驚くばかり尊重せられていると思う」。

この思いがけぬ断言に私たちは驚きと戸惑いを禁じえないが、とにかく彼の言うところを聞こう。そのように民衆が自由なのは、日本では下層民が「全然上層民と関係がないから」である。上層民たる武士階層は「地位が高ければ高いほど、人目に触れずに閉じ籠ってしまい」、格式と慣習の「奴隷」となっている。

「これに反して、町人は個人的自由を享有している。しかもその自由たるや、ヨーロッパの国々でも余りその比を見ないほどの自由である」。法規は厳しいが、裁きは公平で、「法規と習慣さえ尊重すれば、決して危険はない」。

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 プロシヤ使節団のヴェルナー艦長も「絶対専制支配が行われている日本において、個人は時に立憲的なヨーロッパの諸国家においてよりも多くの権利をもっていた」例として、次のような話を紹介している。「われわれの長崎滞在中に、幕府は病院を建てようとした。

幕府につかえていたオランダ人の軍医少佐ポンペ博士は、このための適当な場所を探し出し、長崎奉行もこれに同意した。その場所は貧しい農夫が居住し、一~二反の畑を耕作している丘の頂上であった。奉行はこの農夫に、この土地を地価と収穫高とを算入して幕府に譲渡するように頼んだ。

だが農夫は自分がまいた種をまず収穫したいと思うと指摘し、幕府の依頼をあっさり拒絶した。彼にはその後、二倍、三倍の価格が提示されたが、彼は強情な態度を改めず、最後にはどんな条件でも土地を譲渡するつもりはないと宣言した。奉行は強制収用する立場にはなかった。強制収用法は日本には存在せず、幕府は止むなく他のずっと不適当な土地を病院のために購入することになった」。