渡辺京二『逝きし世の面影』第十二章 生類とコスモス 12015年01月21日 00:00

『逝きし世の面影』渡辺京二/平凡社

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第十二章 生類とコスモス


 モースは「私は(人力)車夫がいかに注意深く道路にいる猫や犬や鶏を避けるかに気づいた。今迄のところ、動物に対して癇癪を起したり、虐待したりするのを見たことがない」と述べ、このことは自分の限られた経験から言うのではなく、「この国に数年来住んでいる人々の証言に拠って」言うのだと断わっている。

モースはさらに次のように書く。「先日の朝、私は窓の下にいる犬に石をぶつけた。犬は自分の横を過ぎて行く石を見ただけで、恐怖の念はさらに示さなかった。そこでもう一つ石を投げると、今度は脚の間を抜けたが、それでも犬はただ不思議そうに石を見るだけで、平気な顔をしていた。

その後往来で別の犬に出くわしたので、わざわざしゃがんで石を拾い、犬めがけて投げたが、逃げもせず、私に向って牙をむき出しもせず、単に横を飛んで行く石を見つめるだけであった。私は子供の時から、犬というものは、人間が石を拾う動作をしただけでも後じさりをするか、逃出しかするということを見て来た。今ここに書いたような経験によると、日本人は猫や犬が顔を出しさえすれば石をぶつけたりしないのである」。
487p

502p
 ホジソンは伝聞として次のような話を披露している。ある外国人が窓の外を見ていると、「一人の哀れな男が干鳥足で歩いてきて寺院のそばの溝に落ちた」。その男のちょっと離れたところでは、小犬が水の中でもがいていた。

ちょうど、下級の僧侶が通りかかったので、てっきり溝に落ちた男を助けるものと思っていたところ、彼は「溝から犬を引っ張り出し、優しく背中をなでてやったが、不運な老人に対しては眼もかけなかった」。その外国人が坊主に対して憤慨したのはいうまでもない。ホジソンもその憤慨をともにする。

「僧侶は同胞の一人を救うのではなく、一匹の小犬の命を助けるために、進んで自分の指を汚ない溝につっこむのだ!」。しかし、これは言いがかりというものだろう。この僧侶は「哀れな男」の正体をよく知っていたのだ。昼日中から泥酔して溝に落ちる奴で、落ちたからといって命に関わりはしない。

そのうち自分で這いあがるのである。だが、小犬はちがう。放っておけば溺死する。ただ、この光景に対してホジソンたち欧米人がおぼえた違和感には、彼らなりのもっともさがある。彼らにとって、人間より動物の救助を優先するというのは、神の似姿たる人間に対する冒涜であって、倫理感の根本を破壊する行為だった。

彼らに動物愛護の精神がなかったというのではない。むろんそれは彼らによって言表されすぎるほど言表されていた。しかしそれは、あくまで人間に対して従属的な劣位にあるものへの、優者たる人間の崇高な道徳的責務であって、それと霊魂ある人間への同胞愛をごっちゃにするなど、神と信仰に対する許すべからざる冒漬にほかならなかった。

503p
 徳川期の日本人にとっても、動物はたしかに分別のない畜生だった。しかし同時に、彼らは自分たち人間をそれほど崇高で立派なものとは思っていなかった。人間は獣よりたしかに上の存在だろうけれど、キリスト教的秩序観の場合のように、それと質的に断絶してはいなかった。

草木国土悉皆成仏という言葉があらわすように、人間は鳥や獣とおなじく生きとし生けるものの仲間だったのである。宣教師ブラウンは一八六三(文久三)年、彼を訪ねて来た日本人とともに漢訳の『創世記』を読んだが、その日本人は、人間は神の最高の目的たる被造物であるというくだりに来ると、「何としたことだ、人間が地上の木や動物、その他あらゆるものよりすぐれたものであるとは」と叫んだとのことである。

504p
 彼らは、人間を特別に崇高視したり尊重したりすることを知らなかった。つまり彼らにとって、"ヒューマニズム"はまだ発見されていなかった。オールコックが「社会の連帯ということがいかに大切かということを忘れるおそれのある人は、日本にきて住めばよい。

ここでは、そういうことはまったく知られていない」と言うのはそのためである。彼は日本人の虚言癖に憤慨してこう書いているのだが、当時の日本では、虚言をいちいち神経症的に摘発して真実を追求せねば、社会の連帯は崩壊するなどと考えるものは、おそらくひとりもいなかった。

彼らは人間などいい加減なものだと知っていたし、それを知るのが人情を知ることだった。そして徳川期の社会は、そういう人情のわきまえという一種の連帯の上にこそ成立しえた社会だった。

505p
 なるほど日本人は普遍的ヒューマニズムを知らなかった。人間は神より霊魂を与えられた存在であり、だからこそ一人一人にかけがえのない価値があり、したがってひとりの悲惨も見過されてはならぬという、キリスト教的博愛を知らなかった。

だがそれは同時に、この世の万物のうち人間がひとり神から嘉されているという、まことに特殊な人間至上観を知らぬということを意味した。彼らの世界観では、なるほど人間はそれに様がつくほど尊いものではあるが、この世界における在りかたという点では、鳥や獣とかけ隔たった特権的地位をもつものではなかった。

鳥や獣には幸せもあれば不運もあった。人間もおなじことだった。世界内にあるということはよろこびとともに受苦を意味した。人間はその受苦を免れる特権を神から授けられてはいなかった。ヒューマニズムは人間を特別視する思想である。だから、種の絶滅に導くほど或る生きものを狩り立てることと矛盾しなかった。徳川期の日本人は、人間をそれほどありがたいもの、万物の上に君臨するものとは思っていなかった。

補足:内容に該当する写真集を見つけました。参考に記載します。
美しき日本の面影 その11 生類との暮らし