渡辺京二『逝きし世の面影』第十二章 生類とコスモス 22015年01月22日 00:00

『逝きし世の面影』渡辺京二/平凡社

http://www.heibonsha.co.jp/book/b160743.html


第十二章 生類とコスモス

508p
クララ・ホイットニーは商法講習所の教師として招かれた父とともに、一八七五年に来日したアメリ力人少女であるが(来日時十四歳)、七六年十一月に銀座が焼けた翌朝、さっそく火事場を見に出かけた。「この人たちが快活なのを見ると救われる思いだった。

笑ったり、しゃべったり、冗談を言ったり、タバコを吸ったり、食べたり飲んだり、お互いに助け合ったりして、大きな一つの家族のようだった。家や家庭から追い出されながら、それを茶化そうと努め、助け合っているのだ。涙に暮れている者は一人も見なかった」。

509p
 焼け跡の立ち直りの早さは、火事馴れした江戸っ子の伝統だった。シッドモアも言う。「焦土と化したばかりの場所に日本家屋が建て直されるスビードは驚嘆に値し、比類がない。大火のあと十二時間のうちに、小さな店の主人は元の所で商売を再開してしまうのだ」。

フレイザーによると「大工は地面が冷たくならないうちにもう仕事を始め」る。ジェフソン=エルマーストによると「日本人が、燃え尽した古い家々のあとに新しい家々を急造するやりかたは驚異だ。余燼はまだ燻っているのに、灰からよみがえったフェニックスのように新しい家が建てられているのが見受けられる。

火事が収まって二、三時間も経つとひとつの通りがまるごと再建されるのだ。一八六六年十一月の横浜大火では、こういったふうにひとつの通りがまるまる再建されたが、風向きが急に変って火が逆もどりし、新しく建った家々を呑みつくしてしまった」。

515p
 その滅び去った文明は、犬猫や鳥類をぺットとして飼育する文明だったのではない。彼らはぺットではなく、人間と苦楽をともにする仲間であり生をともにする同類だった。山川菊栄が書いている。

「どこの屋敷にも大きな樹が繁っているので、梟もいましたが、あの真白な軟い胸毛に濃い空色の長い尾羽、黒いびろうどの帽子をかぶったような可愛い小さないたずら者、鵲の兄弟の尾長もそれぞれの屋敷につきもののようになっていました。人なつこい鳥で子供たちのいい遊び相手でしたから、

近処の家では、小さい女の子と尾長を部屋に入れておくと、お守りの代りになるといっていたくらい。千世の家でも、桐の大木に巣をつくって、毎年夏になると、これを見て下さいといわんばかりさも自慢そうに可愛い雛を何羽もつれて親鳥が庭へ出て来て遊ぶのでした」。
516p

☆516p
 序章ですでに明らかにしえたと思うが、私の関心は日本論や日本人論にはない。ましてや日本人のアイデンティティなどに、私は興味はない。私の関心は近代が滅ぼしたある文明の様態にあり、その個性にある。この視角の差異は私にとって重要だ。

そしてその個性的な様態を示すひとつの文明が、私自身の属する近代の前提であるゆえに、それは私の想起の対象となるのだ。それにしても、狸が将軍の真似をしたり、猫が鯛や帯をくわえて来たりする文明が、いったい想起に値する文明といえるだろうか。

それは理性の光輝く西洋近代に照らすとき、ひとつの羞ずべき未開の文明ではないか。その問いに対しては、そうだ、明治以降の日本人はことごとくそう考えたのだといまは答えておこう。

517p
 明治の日本人知識人が己れの過去を差じ、全否定する人びとだったことについては、先にチェンバレンの証言をひいた。ベルツもまた、一八七六(明治四)年に来日してすぐ、おなじ事態に直面した。彼は故郷への手紙の中で書いている。

「現代の日本人は自分自身の過去については、もう何も知りたくはないのです。それどころか、教養ある人たちはそれを恥じてさえいます。『いや、何もかもすっかり野蛮なものでした(言葉そのまま!)』とわたしに言明したものがあるかと思うと、

またあるものは、わたしが日本の歴史について質問したとき、きっぱりと『われわれには歴史はありません、われわれの歴史は今からやっと始まるのです』と断言しました。なかには、そんな質問に戸惑いの苦笑をうかべていましたが、

わたしが本心から興味をもっていることに気がついて、ようやく態度を改めるものもありました。……これら新日本の人々にとっては常に、自己の古い文化の真に合理的なものよりも、どんなに不合理でも新しい制度をほめてもらう方が、はるかに大きい関心事なのです」。

517p
 私たちはここに描かれた明治初期の父祖の姿に同情をもってしかるべきだ。先述したようにエドウィン・アーノルドが日本を美の国、妖精の国と賞めたたえたとき、ここ二十数年の近代化の努力をあざ笑うものとして反発したわれわれの父祖に、私たちはなにがしかの共感をもつていい。

狐狸妖怪のたぐいを信じるのはたしかに「野蛮」であつた。そういう「野蛮」から脱して近代化への途を歩まないでは、日本が十九世紀末の国際社会で生き残ることはできなかつた以上、過去は忘れるに如くはなかつた。

518p
 しかしそのゴールとしての近代が、少なくとも"先進国"レベルにおいては踏破されつくした今日、過去の「野蛮」はまつたく異なる意味の文脈でよみがえらずにはいない。なるほど狐が人を化かし猫がものを言うというのはそれ自体としては蒙昧を意味する。

しかしそのように生類がひとと交流・交歓する心的世界は野蛮でもなければ蒙昧でもない。それはひとつの、生きるに値する世界だつた。ベルツはことにふれて日本人について「幸福な国民だ、幸福な気質」だと感じないではいられなかつた。

これは日本人論ではない。日本人をそうあらしめていた、おしよせる「文化革命」(ベルツの表現)の波にもかかわらずまだそうあらしめていた、ひとつの文明の残照について言われた言葉である。

補足:内容に該当する写真集を見つけました。参考に記載します。
美しき日本の面影 その11 生類との暮らし

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://kumano.asablo.jp/blog/2015/01/22/7635617/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。