渡辺京二『逝きし世の面影』第十四章 心の垣根2015年01月25日 00:00

『逝きし世の面影』渡辺京二/平凡社

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第十四章 心の垣根


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 凧あげはめざましい光景だった。一八六一(文久元)年の春、前年に続いて再び日本を訪れたフオーチュンは、長崎の市街と郊外の上空に凧が群れているのを見た。彼は最初、それを鴎の群れと見間違えた。凧はダイヤモンド型をしていて、赤、白、青といった鮮やかな色が塗られていた。

「通りという通りで、屋根の上で、丘の中腹で、野原で、あらゆる年齢の男女が大勢、うち興じていた。みんな陽気で、満ち足り、しあわせそうだった」。ヴェルナーはおなじ年の四月、長崎の金比羅様の祭礼の行事である凧あげを見た。金比羅山の頂上に至る一・六キロの参道は、「ぎっしりと数珠つなぎになった人で一筋の線のようになっていた」。

二時間半のしんどい登りのあと頂上に着くと、そこは円形の台地になっていて、「すでに何千という凧が三〇メートル上空で入り乱れ、うなり声を上げていた。……少なくとも一万人が群れ集まっていた。……台地は豊かな緑におおわれ、そこに家族連れが休息場所をつくり、持参した弁当をひろげていた」。ヴェルナーたちは「行く先々で手をひかれ草の上に坐らされた」。

日本人たちは酒、茶、食事、煙草などでもてなし、何とか彼らに楽しんでもらおうとやっきになっていた。ヴェルナーは感動した。「ここには詩がある。ここでは叙情詩も牧歌もロマンも、人が望むありとあらゆるものが渾然一体となって調和していた。平和、底抜けの歓喜、さわやかな安らぎの光景が展開されていた」。
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 その安息と親和の世界には、狂者さえ参人を許されていた。フォーチュンはディクソンら友人とともに鎌倉を訪ねたが、町中に入ると女が一人道路の真中に坐りこみ、着物を脱いで裸になって煙草を吸い始めた。明らかに気が違っているのだった。

フォーチュンらが茶屋で休んでいると、彼女がまた現われて、つながれているフォーチュンらの馬に草や水を与え、両手を合わせて馬を拝んで何か祈りの言葉を眩いていた。彼女は善良そうで、子どもたちもおそれている風はなかった。

フォーチュンたちはそれから大仏を見物し、茶屋へ帰って昼寝したが、フォーチュンが目ざめて隣室を見やると、さっきの狂女が、ぐっすり寝こんでいる一行の一人の枕許に坐って、うちわで煽いでやっていた。そしてときどき手を合わせて、祈りの言葉を眩くのだった。

彼女はお茶を四杯とひとつかみの米を持つて来て、フオーチュン一行に供えていた。「一行がみんな目をさまして彼女の動作を見つめているのに気づくと、彼女は静かに立ち上がって、われわれを一顧だにせず部屋を出て行った」。狂女は茶屋に出人り自由で、彼女のすることを咎める者は誰もいなかったのだ。

当時の文明は「精神障害者」の人権を手厚く保護するような思想を考えつきはしなかった。しかし、障害者は無害であるかぎり、当然そこに在るべきものとして受け容れられ、人びとと混りあって生きてゆくことができたのである。
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 幕末に異邦人たちが目撃した徳川後期文明は、ひとつの完成の域に達した文明だった。それはその成員の親和と幸福感、あたえられた生を無欲に楽しむ気楽さと諦念、自然環境と日月の運行を年中行事として生活化する仕組みにおいて、異邦人を讃嘆へと誘わずにはいない文明であった。

しかしそれは滅びなければならぬ文明であった。徳川後期社会は、いわゆる幕藩制の制度的矛盾によって、いずれは政治・経済の領域から崩壊すべく運命づけられていたといわれる。そして何よりも、世界資本主義システムが、最後に残った空白として日本をその一環に組みこもうとしている以上、古き文明がその命数を終えるのは必然だったのだと説かれる。

リンダウが言っている。「文明とは、憐れみも情もなく行動する抗し得ない力なのである。それは暴力的に押しつけられる力であり、その歴史の中に、いかに多くのページが、血と火の文字で書かれてきたかを数え上げなければならぬかは、ひとの知るところである」。むろんリンダウのいう文明とは、近代産業文明を意味する。

オールコックはさながらマルクスのごとく告げる。「西洋から東洋に向う通商は、たとえ商人がそれを望まぬにしても、また政府がそれを阻止したいと望むにしても、革命的な性格をもった力なのである」。
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 つまりオールコックは、日本人の賞揚すべき美徳とは社会生活の次元にとどまるもので、より高次の精神的な志向とは無縁のものだといいたかったのだ。そのことをブスケはより直截に表現した。

すなわち彼によれば、日本の社会にはすぐれてキリスト数的な要素である精神主義、「内面的で超人的な理想、彼岸への憧れおよび絶対的な美と幸福へのあの秘かな衝動」が欠けており、おなじく芸術にも「霊感・高尚な憧れ・絶対への躍動」が欠けているのである。

そのことと、日本語が「本質的に写実主義的であり、抽象的な言葉や一般的で形而上的な観念について全く貧困である」こととは、密接な関連があるとブスケは考えていた。