渡辺京二『逝きし世の面影』第十章 子どもの楽園2015年01月18日 00:00

『逝きし世の面影』渡辺京二/平凡社

http://www.heibonsha.co.jp/book/b160743.html

第十章 子どもの楽園


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 子どもが馬や乗物をよけないのは、ネットーによれば「大人からだいじにされることに慣れている」からである。彼は言う。「日本ほど子供が、下層社会の子供さえ、注意深く取り扱われている国は少なく、ここでは小さな、ませた、小髷をつけた子供たちが結構家族全体の暴君になっている」。

ブスケにも日本の「子供たちは、他のどこでより甘やかされ、おもねられている」ように見えた。モースは言う。「私は日本が子供の天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。

二コニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい」。いちいち引用は控えるが、彼は『日本その日その日』において、この見解を文字通り随所で「くりかえし」ている。

 イザベラ・バードは明治十一年の日光での見聞として次のように書いている。「私はこれほど自分の子どもに喜びをおぼえる人々を見たことがない。子どもを抱いたり背負ったり、歩くときは手をとり、子どもの遊戯を見つめたりそれに加わったり、絶えず新しい玩具をくれてやり、野遊びや祭りに連れて行き、子どもがいないとしんから満足することがない。

他人の子どもにもそれなりの愛情と注意を注ぐ。父も母も、自分の子に誇りをもっている。毎朝六時ごろ、十二人か十四人の男たちが低い塀に腰を下ろして、それぞれ自分の腕に二歳にもならぬ子どもを抱いて、かわいがったり、一緒に遊んだり、自分の子どもの体格と知恵を見せびらかしているのを見ていると大変面白い。

その様子から判断すると、この朝の集まりでは、子どもが主な話題になっているらしい」。日本人の子どもへの愛は、ほとんど、「子ども崇拝」の域に達している。ように見えた。
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ツュンベリは「注目すべきことに、この国ではどこでも子供をむち打つことはほとんどない。子供に対する禁止や不平の言葉は滅多に聞かれないし、家庭でも船でも子供を打つ、叩く、殴るといったことはほとんどなかった」と書いている。「船でも」というのは参府旅行中の船旅を言っているのである。またフィッセルも「日本人の性格として、子供の無邪気な行為に対しては寛大すぎるほど寛大で、手で打つことなどとてもできることではないくらいである」と述べている。

 このことは彼らのある者の眼には、親としての責任を放棄した放任やあまやかしと映ることがあった。しかし一方、カッテンディーケにはそれがルソー風の自由教育に見えたし、オールコックは「イギリスでは近代教育のために子供から奪われつつあるひとつの美点を、日本の子供たちはもっている」と感じた。「すなわち日本の子供たちは自然の子であり、かれらの年齢にふさわしい娯楽を十分に楽しみ、大人ぶることがない」。

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 子どもは大人に見守られながら、彼らだけの独自な世界をもっていた。一八一二(文化九)年、日向国佐土原瀋の修験者野田成亮は、全国の霊山を訪ねる修行の途上、肥後国日奈久での見聞を次のように記している。

「当所に子供地蔵といふあり。木像にて高さ一尺一寸ばかりあり。子供、遊び道具にす。夏分どもには、地蔵さんも暑からうとて川の中へ流し、冬は炬燵に人れる。方々持ち廻り、田の中などへ持ち込めり。しかりといへども障りなし。大人ども叱りなどすれば、たちまち地蔵の機嫌をそこなひ障りあり」。

これは局地の奇習ではない。大人とは異なる文法をもつ子どもの世界を、自立したものとして認める文明のありかたがここに露頭しているのだ。徳川期の文明はこのように、大人と子どものそれぞれの世界の境界に、特異な分割線を引く文明だったのである。そのような慣行は明治の中期になってもまだ死滅してはいなかった。

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グリフィスは横浜に上陸して初めて日木の子どもを見たとき、「何とかわいい子供。まるまると肥え、ばら色の肌、きらきらした眼」という感想を持った。またスエンソンは「どの子もみんな健康そのもの、生命力、生きる喜びに輝いており、魅せられるほど愛らしく、仔犬と同様、日本人の成長をこの段階で止められないのが惜しまれる」と感じた。彼らが「幸せに育っているのはすぐに分かっ」た。「子供は大勢いるが、明るく朗らかで、色とりどりの着物を着て、まるで花束をふりまいたようだ。

……彼らと親しくなると、とても魅力的で、長所ばかりで欠点がほとんどないのに気づく」と言うのはパーマーである。母親とおなじ振袖の着物を着てよちよち歩きをしている子どもほど、「ものやわらかでかわいらしいものはない」とシッドモアは言う。

日本についてすこぶる辛口な本を書いたムンツィンガーも「私は日本人など嫌いなョーロッパ人を沢山知っている。しかし日本の子供たちに魅了されない西洋人はいない」と言っている。

チェンバレンの意見では、「日本人の生活の絵のような美しさを大いに増している」のは「子供たちのかわいらしい行儀作法と、子供たちの元気な遊戯」だった。日本の「赤ん坊は普通とても善良なので、日本を天国にするために、大人を助けているほどである」。モラ工スによると、日本の子どもは「世界で一等可愛いい子供」だった。
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 日本人はルースに、いったいどんな道徳的悪習とどんな嘘を教えたというのか。エヴァの子守り婆さんは、まさか彼女に喫煙を仕込んだのではあるまいが、少なくともそれを助長した形跡はある。日本人の大人は子どもを自分たちの仲間に加え、自分たちに許される程度の冗談や嘘や喫煙や飲酒等のたのしみのおこぼれを、子どもに振舞うことをけっして罪悪とは考えていなかった。

すなわち当時の日本人には、大人の不純な世界から隔離すべき"純真な子ども"という観念は、まだ知られていなかったのだ。むろんそういう観念は西洋近代の産物である。バードは偏見の少ないすぐれた観察者であるけれども、彼女の使用する「道徳的堕落」とか「嘘」という用語には、西洋近代において成立する神経症的オブセッションが色濃くまつわっている。ちなみに、ルースの父親ファイソンは一八七四年に来日し、新潟で七年間伝道に従事した英国人宣教師である。

補足:内容に該当する写真集を見つけました。参考に記載します。
美しき日本の面影 その5 子供の情景

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