渡辺京二『江戸という幻景』4 ― 2015年02月09日 00:00

『江戸という幻景』渡辺京二/弦書房

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6 家業と一生


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前代の人びとにとって仕事が決して労役ではなく、生命活動そのものだったことが自然に納得されて来る。労働は神聖だとか、生産は尊いなどというのではない。そんなものは近代のイデオロギーである。ただ、働くのは天の人間に与えた使命だという感覚はたしかにあった。家業は近代でいう職業ではない。それは運命が与えたその人の存在形態であって、家業に精出すのは生命活動そのものにほかならなかった。天とは運命の別名であり、天の命ずるところに従っておのれの職分に励むのは、人が人としての命を全うすることだった。ここには、かのプロテスタンティズムの天職・召命観にかなり類似した観念の成立が認められる。しかし徳川期の天職観はあくまで家を基軸として成立した。近代人にとって束縛以外の何ものでもない家は、前代の人びとにとって、おのれの生命活動を天の意志として定位するためのシステムだったといって誤らない。それゆえ人びとは家を重んじた。家のためにおのれを犠牲にする、などというのは後代の解釈である。家はおのれの生涯に意味を与え、おのれの生命活動によろこびを与える根源だった。

101p
 牧之の父は牧之が三十八の時、七十一歳で死んだ。大変きびしくうるさい人であったが、死の前日に、牧之が今生におもい遣すことはないかと聞くと、「義惣治という跡継ぎを持ちて、さらにこの世におもい遣すことない男だ」と「言舌鮮やかに」答えた。義惣治というのは牧之の通り名である。牧之のよろこびは如何様であったろう。この父親は牧之の日頃の努めようから、自分なき後もこの家が健在であるという確信が持てたのである。家が存続するというのは、おのれの生命が継がれるということだった。思い遺すことのあろうはずはない。そして、そのように父を満足のうちに逝かせるのはまた牧之自身の満足でもあった。

 こういう前代の人びとのよろこびは、現代人の最も縁遠く、従って理解の困難な心性に属する。おのれの欲望や自堕落を制して、日々仕事にいそしむということが、精神に硬直や偏りをもたらす自己抑圧とみなされ、気侭やぐうたらが精神解放の早道として鐘太鼓入りで唱道されるのが現代である。だがそういう現代の眼鏡を通したのでは、江戸期の人びとが何をよろこびとし悲しみとしたかということは絶対に見えて来ない。

102p
地方の有力者である鈴木の家の嫡男牧之にとって、結婚の第一義的な意味は、家を受け継いで手落ちなく経営してゆく上での協力者の採用というところにあっただろうからである。経営メンバーの採用である以上、採用されてのち解雇されることがあるのは当然だ。採用と解雇にその時の家の当主たる両親の意向が大きな力をもつのは、これまた当然のことといわねばならない。

103p
今日における家の観念でこの時代の家を理解しようとしてはならない。江戸期においては、あらゆる家は家業をもっていた。家業は即その家の社会的責任を示すものであり、それに属する人びとの誇りの出どころでもあった。家がそのような一種の経営体である以上、嫁という新前人者が既成メンバーによって審査され教育されるのに、何の不思議もなければ不都合もない。今日会社はおなじことをやっているではないか。いったん会社に入っても、当人の勤めぶりが会社に合わぬとあれば、君はほかの仕事が向いているのではと、暗に転職を迫られることもある。かつての嫁の場合もおなじことであった。

104p
そもそも離縁を迫られるというのは、女と他の家族メンバーがうまくゆかぬということで、そのようにうまくゆかぬ家に居座っていても、不愉快であるばかりでなく、かえっておのれの将来を台無しにする。その場合、その家をおん出るのはむしろ将来を見越した得策というものだった。というのは当時、離婚歴はなんら再婚の障害にはならなかったからだ。江戸期の離婚率は相当に高い。そして離婚の結果が不幸であるとは限らぬ。『井関隆子日記』の主人公は、初婚に失敗したにもかかわらず、幸せな再婚生活を送っている。隆子は格式ある旗本家の娘だが、庶民の女の場合、一般に、一度の結婚でおのれの運命をきめてしまうのではなく、いくつか試みて最も自分に合った家に落ち着くというのが賢明で自主的な生き方であったようだ。

104p
三くだり半といえば、離縁状を持たされて泣く泣く実家へ返される哀れな嫁というイメージがたちどころに浮かぶけれど、それが全くの虚像にすぎぬことを明らかにしたのは高木侃の著書『三くだり半』である。かつては三くだり半の「我等勝手ニ付」という慣用文言は夫の専権離婚、すなわち一方的追い出しを示すものと理解されていたが、高木はそれが全くの誤りであり、離婚の責任が妻ではなくて夫の側にあることを示す文言であることを明らかにした。つまり離縁状とは離婚の責任が妻側になく、別れた以上妻の再婚に異議はない旨を確言するもので、それを与えるのは夫の権利ではなく義務なのである。三くだり半は妻の請求によって交わされるものであった。

107p
 結婚に際し一生の変わることなき愛を誓うキリスト教的婚姻にくらべれば、うまくゆかなければ直ちに離婚して、何度でも結婚をやり直せばよいという江戸期の婚姻常識は、何ともりアりスティックな人性認識に支えられていて、一種の人生智とすらいってよい。だがそれは一面現実的すぎて、あまりにもわびしい認識ではあるまいか。しかもそのような結婚観は、個人の自由にもとづく今日の離婚ばやりと違って、あくまで家業の経営という要請が背景にあるだけに、現実的な分別がいっそう強く匂うのである。むろん当時も、男女は惚れ合うものであって現実的な分別ばかりで所帯を持ったわけでは毛頭ないが、それでもその惚れ合うというのは、西洋人が神の前で誓う愛とはよほど趣が違っていた。

109p
江戸人は男女間の関係を性愛、情愛にもとづく妥協的な結合、あくまで現実的必要に促された一種の協業関係と見る点で、愛の幻想などに煩わされることのない徹底したリアリストだった。だから彼らはこの世にたった一人しかいない恋人など想像したこともなく、事情に従って何度も結婚と離婚を繰り返した。だが、夫婦になっているのはたまたまさとでも言いたげな彼らのたたずまいに、何か吹き抜けてゆく木枯らしのようなわびしさを覚えるのはどうしたことだろうか。それはまさにわれわれが近代を知ったということにほかならない。

110p
 近代が到来したというのは、おのおのが自己の人格を自覚した個人にならねばならぬということを意味した。個であるがゆえに人は、おのれが家の一員であった時には必要としなかった近代的な愛の幻想を追い求める。われわれが鈴木牧之の前後四回の離婚歴になにか釈然としないのはそのためであろう。われわれの眼には、江戸時代の夫婦というものがかなり情の薄いもののように映る。むろん彼らの間に連れ添うものの情愛があったのを疑うのではないが、当然あるべき深い精神的な絆が欠けているように思えるのだ。『東海道中膝栗毛』は戯作ではあるけれども、その発端の章を読むと、仮にも夫婦であったものがそんなにあっさりと別れてよいものかと、違和の念に捉えられてしまう。結婚を人格的結合とみなし、その核心に情熱的な恋愛を仮定するのは近代の発見である。発見は前代に対するひとつの優位性である。だがそれは愛の幻想に捉われて苦しむことでもあった。江戸人はそのような苦しみを知らなかった。そしてこれはとりもなおさず、江戸という前代の現代に対する優位性なのである。

家業の重みを担い通すことが現代人の考えるような苦業ではなく、牧之の一生を意味づけるよろこびだったことを認めるにせよ、それがある種の束縛であったことは否定できない。しかし家業とは、もっと自由で奔放なものでありえた。少くとも川渡甚太夫という男の一生は私たちにそう教えてくれる。