渡辺京二『日本近世の起源』19 ― 2015年03月04日 00:00
『日本近世の起源―戦国乱世から徳川の平和(パックス・トクガワーナ)へ』渡辺京二/弓立社
http://www.amazon.co.jp/dp/4896674014
終章 日本近世は何を護ったか
220p☆
徳川体制の成立とは要するに、全国統一とはいうものの、戦国期を通じて形成された地域的小国家をそのまま温存して、徳川政権に臣従ぜしめたものだった。むろん戦国期の小国家は独立性の大半を喪って、徳川中央政府の統制に服しはしたものの、彼自身戦士である大名は戦国期を戦い抜く戦闘専業者集団すなわち家臣団もろともに、頭から爪先まで武装して安堵された領国に居据わったのである。
高木昭作が「近世においては国土それ自体がひとつの巨大な兵営であった」と言うのは、彼なりの独特な含意においてであるが、もっと普通の意味で、つねに臨戦体制にある幕府と各藩が、少くとも島原の乱の頃までは一種の「兵営国家」的性格を帯びていたのは、否むことのできぬ事実だろう。
ところがこの「兵営国家」が、少くとも十八世紀初頭までには、同時代でも珍らしい「平和国家」、殺伐の気が毛ほどもなく、社会的緊張もほとんど緩んだ駘蕩たる社会、ケムペルによれは「世界のどこの国からも煩わされずに安穏に生活し、極めて明るい自制と悦楽に明け暮れ」ている社会に変貌したのである。
なにゆえ、いかにしてと問うのはこの本の主題ではない。だが一言ですますならば、十六世紀という大転形期のあの流血と騒乱は、もともと徳川の平和をあがなうためのものだったのだと答えるしかあるまい。徳川の平和は武装した幕藩領主の連合によって実現した。しかしそれはいったん成立するや、武家支配社会の「兵営」的性格を骨抜きし、あけくは払拭するような方向性を当初から備えていたというべきである。
その意味で、「秀吉や家康らの支配に人々が服従したのは、その指導のもとに形成された新しい秩序が、むしろ好ましいものとして受け入れられたからこそであろう。そうでなく、もしそれが権力による一方的な抑圧や強制の結果であったすれは、そののち二七〇年間にわたって国内の平和が維持されたという事実を、どのようにして合理的に説明することができるのであろうが」と尾藤正英が述べているのは説得的である。
221p☆
徳川政権は秀吉権力のあとを受けて、戦国の分裂状況を克服し、平和と秩序をもたらした。その意義は大きい。しかし、国家強権において社会内の平和と秩序が創出されるというのは、いうまでもなく近代主権国家への第一歩にほかならない。私が、反国家というウルトラ近代的な視点から近代主権国家を否定する夢想家たちにくみするものでないことは、ここで断わっておく。
しかし、近代主権国家こそ、土地と慣習に根ざした人間生活の自立・自存、すなわちイヴァン・イリイチ(Ivan Illich 1926~2002)のいうヴァナキュラーな(その地の暮らしに根ざした固有の)価値を殲滅した元凶である以上、そして人類の未来がこのヴァナキュラーな価値の再建という一点にかかっている以上、徳川期の有する近代性なるものを手放しで評価するわけにはいかない。
224p☆
徳川期の国家はむろん、西洋史における絶対主義段階との単純な同定を許す性格のものではない。だが、国家領域における統合を通じて産業と商業に全般的な繁栄をもたらしながら、人びとの自立・自存の基盤、イリイチ風にいうとヴァナキュラーな社会的「共有地」に干渉せず、しかも土地と労働の商品化を干渉的に阻止した点で、幕藩制国家と西洋絶対王政は奇しくも機能的な一致を示している。徳川期をたんに早期近代と見るだけでは、その期間を通してヴァナキュラーな価値の存続が許されたという重要な論点が欠落することになろう。
徳川期の社会は、今日極相にまで到達した近代を批判的に照らし出すゆたかな啓示にみちている。そのような社会を可能ならしめた国家機構、さらにそこに花咲いた文化は、批判以前にまず理解すべきものとしてわれわれの眼前に在る。しかしそれはこの本の主題ではない。
私はそのような語義通りにユーニ一クな一文明が出現するまでの苛烈な道程を、従来の市民主義史学ないし左翼史学と全く反する視点で、しかし何人かの秀れた史家の助けを借りて読み解いてみようとしたにすぎない。いまや私のささやかな、しかし道中の難儀も乏しからぬ旅は終った。
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終章 日本近世は何を護ったか
220p☆
徳川体制の成立とは要するに、全国統一とはいうものの、戦国期を通じて形成された地域的小国家をそのまま温存して、徳川政権に臣従ぜしめたものだった。むろん戦国期の小国家は独立性の大半を喪って、徳川中央政府の統制に服しはしたものの、彼自身戦士である大名は戦国期を戦い抜く戦闘専業者集団すなわち家臣団もろともに、頭から爪先まで武装して安堵された領国に居据わったのである。
高木昭作が「近世においては国土それ自体がひとつの巨大な兵営であった」と言うのは、彼なりの独特な含意においてであるが、もっと普通の意味で、つねに臨戦体制にある幕府と各藩が、少くとも島原の乱の頃までは一種の「兵営国家」的性格を帯びていたのは、否むことのできぬ事実だろう。
ところがこの「兵営国家」が、少くとも十八世紀初頭までには、同時代でも珍らしい「平和国家」、殺伐の気が毛ほどもなく、社会的緊張もほとんど緩んだ駘蕩たる社会、ケムペルによれは「世界のどこの国からも煩わされずに安穏に生活し、極めて明るい自制と悦楽に明け暮れ」ている社会に変貌したのである。
なにゆえ、いかにしてと問うのはこの本の主題ではない。だが一言ですますならば、十六世紀という大転形期のあの流血と騒乱は、もともと徳川の平和をあがなうためのものだったのだと答えるしかあるまい。徳川の平和は武装した幕藩領主の連合によって実現した。しかしそれはいったん成立するや、武家支配社会の「兵営」的性格を骨抜きし、あけくは払拭するような方向性を当初から備えていたというべきである。
その意味で、「秀吉や家康らの支配に人々が服従したのは、その指導のもとに形成された新しい秩序が、むしろ好ましいものとして受け入れられたからこそであろう。そうでなく、もしそれが権力による一方的な抑圧や強制の結果であったすれは、そののち二七〇年間にわたって国内の平和が維持されたという事実を、どのようにして合理的に説明することができるのであろうが」と尾藤正英が述べているのは説得的である。
221p☆
徳川政権は秀吉権力のあとを受けて、戦国の分裂状況を克服し、平和と秩序をもたらした。その意義は大きい。しかし、国家強権において社会内の平和と秩序が創出されるというのは、いうまでもなく近代主権国家への第一歩にほかならない。私が、反国家というウルトラ近代的な視点から近代主権国家を否定する夢想家たちにくみするものでないことは、ここで断わっておく。
しかし、近代主権国家こそ、土地と慣習に根ざした人間生活の自立・自存、すなわちイヴァン・イリイチ(Ivan Illich 1926~2002)のいうヴァナキュラーな(その地の暮らしに根ざした固有の)価値を殲滅した元凶である以上、そして人類の未来がこのヴァナキュラーな価値の再建という一点にかかっている以上、徳川期の有する近代性なるものを手放しで評価するわけにはいかない。
224p☆
徳川期の国家はむろん、西洋史における絶対主義段階との単純な同定を許す性格のものではない。だが、国家領域における統合を通じて産業と商業に全般的な繁栄をもたらしながら、人びとの自立・自存の基盤、イリイチ風にいうとヴァナキュラーな社会的「共有地」に干渉せず、しかも土地と労働の商品化を干渉的に阻止した点で、幕藩制国家と西洋絶対王政は奇しくも機能的な一致を示している。徳川期をたんに早期近代と見るだけでは、その期間を通してヴァナキュラーな価値の存続が許されたという重要な論点が欠落することになろう。
徳川期の社会は、今日極相にまで到達した近代を批判的に照らし出すゆたかな啓示にみちている。そのような社会を可能ならしめた国家機構、さらにそこに花咲いた文化は、批判以前にまず理解すべきものとしてわれわれの眼前に在る。しかしそれはこの本の主題ではない。
私はそのような語義通りにユーニ一クな一文明が出現するまでの苛烈な道程を、従来の市民主義史学ないし左翼史学と全く反する視点で、しかし何人かの秀れた史家の助けを借りて読み解いてみようとしたにすぎない。いまや私のささやかな、しかし道中の難儀も乏しからぬ旅は終った。
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